門司港レトロ、港町門司港、景勝地・和布刈、平家関係の史跡等、門司の名所・史跡を紹介。 |
福岡県北九州市の門司は、九州最北端の企救半島にあります。門司でよく間違うのが、門司駅と門司港駅。門司駅というのは、元々「大里駅」、門司港駅は、元々「門司駅」でした。昭和17年(1942)関門鉄道トンネルの開通により、駅名が変更されています。
門司は、地形的には海と山しかありません。見晴らしが一番いいのは、「和布刈=めかり」です。自然を利用した観光地は、和布刈のみです。門司港レトロも北九州市を代表する観光地になりました。門司港レトロは、JR門司港駅を中心に整備された観光地です。「門司港レトロ」のを知るには、「旧大阪商船」「旧門司税関」「旧大連航路上屋」「門司電気通信レトロ館」です。元から同じ場所にあり見学ができる建物は、これだけです。
門司と言ったら、「門司港」だという人もいます。正確には門司港のことを指すようです。なぜなら、現在の「JR門司駅」を中心としたあたりは、元々「内裏(だいり)=大里」と言われていたためです。 門司について参考文献として、多くの本及び資料を読みましたが、現在の人が書いた物です。 実際に史跡と言われる所に行っても、意外と新しい所が多いです。由来・言い伝えというのは、人の話ですから、変わってきます。 江戸時代後半からのは、 真実味がありますが、それ以前のは確証にかけます。 第一地形が変わっています、多分このあたりにあったと言うのは、当てになりません。 実際に○○の墓と言われている場所も、実際のところは、墓ではなく、書物を入れているといった場所もあります。 門司の史跡としては、平家関係が一番多いです。 続いて門司城関係、小笠原藩関係です。 建築物は、割と明治・大正・昭和初期のものが残っています。2004年頃までは、説明も何もなかった所に看板が出ていたり、説明を書いている場所もあります。ズバリ「平家ゆかりの地」です。 一番多いのが、大積天疫神社(通称河童神社)です。境内には、河童の銅像もあります。何故河童であろう! 源平合戦の時、壇ノ浦の合戦で破れた平家が、海底に身を投じ武士は平家蟹に、女官は河童に化身したという伝説が残っているからです。 源氏・平家の子孫が住んでいる所は、「黒川」という所があります。 (門司港駅からバスで10分、「八木田」)ここは、元々は、平家の残党が隠れ八木田と改名をし住んだ土地ですが、いつのまにか、源氏の子孫も住んでいるという土地です。 建築物に関しては、すでに現存しない建物も掲載をしています。現存していない建物を掲載しているのは、こういう建物もあったというので掲載をしております。(九州最北端は、正確には長崎県の対馬です) |