明石与次兵衛塔

豊臣秀吉が、肥前名護屋から大坂へ戻る途中、 大里沖の「篠瀬」と呼ばれる岩礁に秀吉の乗った御座船が、衝突した責任を負い、 当船の船奉行であった明石与次兵衛が柳ヶ浦で切腹した。 細川忠興により安全航行の示標として石柱が建てられた。大正時代日本海軍により岩礁を爆破する際に撤去され、後に海に沈められたが、1954年に引き上げられた。 現在地に建てられたのは1972年。 めかり公園入り口にありますが、坂を登らないといけません。 場所:めかり めかり公園前バス停下車。 円柱形のせきひです。上が円形の石が乗っています。色は、グレーです。 高さは、1メートルぐらいです。 台座が20センチくらいですね。公園の一部を削って建てたようですね。

旧跡・ひ巡り1へ戻る