塚・墓

大積隆鎮公墓

玉泉寺(ぎょくせんじ)にある。門司一族の大積上総介隆鎮の墓。隆鎮は丸山城主として、永正年間もじ六郷を管轄した。恕心和尚の徳に感銘し山林田畑を玉泉寺に寄進した。 大友軍との合戦で丸山城が落城し逃れる途中に畑の番屋峠で伏兵にあい自刃した。 と言う事である。 ここの写真は撮影しませんでした。何か乗る気がしない。 気分が向いたら撮影するかもしれません。 場所:畑 ぎょくせんじバス停下車。

ガントウ塚

小高い山の山頂に玉石が露出した2つの塚(墓)がある。誰の墓かはわからない。「ガンドウ」の由来は、この近くまで海岸が 迫っていたとされ、海岸線にある小山を表す岸頭であると言われている。 行くつもりでしたが、地元の人に辞めておいたほうが良いと言われ辞めました。 場所:猿喰(さるはみ)  さるはみバス停下車。

柳城郎党之墓

南北朝時代、南朝方についた門司親通の柳城は、1363年同族である、北朝方の門司城主門司親尚と周防・長門両国の太守である大内弘世の軍勢に、攻められた時に戦死した柳城郎党の五輪墓が3基残されている。場所:じない 大久保バス停下車。

肥前墓

1762年肥前佐賀藩の船11艘が、田野浦沖で難破し、肥前の人32名と長門の人21名が溺死した。翌1763年佐賀藩主鍋島氏により供養塔が建てられた。 場所:真楽寺 田野浦バス停下車。

地蔵の森の五輪の塔

地蔵や五輪の塔があるため、地元では「地蔵の森」と呼んでいたらしいが、現在は知っている人が殆どいません。壇ノ浦から敗走した平家の落人の墓といわれ、墓や小石に触れると腹が痛くなると伝えられている。 場所:白野江(しらのえ) しらのえ郵便局前バス停
墓の撮影は中々出来ないです。見ず知らずの人に撮影されていいと思う人はいない。

旧跡・ひ巡り2へ戻る